【雑記】視力0.1以下の人間が裸眼で走って気づいたこと。主体的にあいさつをする楽しさ

あいさつ
あいさつ
にお あつし

この記事を書いた人はこんな人です。ご興味があれば、どうぞ!

にお あつしってどんなひと?(税理士ブロガー。趣味はバイクとフルート♬

花粉症真っ只中のシーズンですね( ;∀;)

私も重度の花粉症なのでこの時期はコンタクトレンズではなくメガネを着用するようにしています。

ただ、花粉症がこわくて家にこもりがちになると運動不足となり太ってしまうのでランニングだけは続けています。

ランニングしていると顔の汗でメガネが滑るので昨日は裸眼でランニングしました。

今回は裸眼でランニングして気づいたことを記事にしてみました。

裸眼で走って気づいたこと

私の視力は裸眼だと0.1以下なので、コンタクトやメガネをつけない場合には目に映る景色がぼやっと見えます。

昨日はいつも走っているコースで身体で道を覚えていることもあり、裸眼でも走り切ることができました。

また、普段より目が見えないぶん気持ちも大きくなります。(私だけかもしれませんが(笑))

とりあえず何か試してみようと思いランニング中に出会った見知らぬ人たちに「こんにちは!」とあいさつすることにしました。

こちらからあいさつしても無視されるのではないかという不安もありましたが、結果的には8割~9割の人からあいさつをかえしてもらいました。

みなさんも実は私と同じように“実はあいさつしたい願望”があるのではないかと思いました。

実は~したい、でもほとんどの人が受身

前節の話はランニングのすれ違いのあいさつのことだけではなく、いろいろな場面で見受けられます。

登山をしたり神社の階段を登っている最中に人とすれ違うときも同じです。

こういった場面では、あいさつしないで無言で通り過ぎるほうが逆にぎこちなくなります。

ただ、こちら側からあいさつや会釈をしないと、お互いあいさつしない確率は高くなります。

大切なポイントは、あいさつを実現するにはどちらかいっぽうがあいさつをしかける必要があるということです。

こちらがあいさつをしかけると相手も気持ちのいいあいさつを返してくれます。

しかし、こちらがあいさつをしかけないとだいたいは相手も無言です。

極論ですが「他人とあいさつしたい、他人と会話をしたい、他人と~したい」と願望があるが、自分からしかけるのではなくチャンスを待っている人(受身の人)が多いのかなと思います。

あいさつの話だけではありません。

遊びの企画もそうですよね。

こちら側から遊びに誘うとけっこう参加してくれます。

逆に、こちら側から誘わないとその人を遊ぶことはなかなか実現しません。

しかけをする側のほうが楽しい。

“あいさつのしかけをする側”と“あいさつを待つ(受身の)側”だと断然に“あいさつをしかけのする側”が楽しいです。

“あいさつのしかけをする側”のほうが自分の意思で自由にたくさんの人とあいさつできます。(あいさつを無視されると寂しくなることもありますが(笑)。)

“あいさつを待つ人”は少数の“あいさつをしかける人”にまず出会うという条件をクリアしなけらばならず、他人の意思に委ねる必要があります。

同じ時間を過ごすのでも「あいさつのしかけるをする側」のほうが濃密な経験することになります。

“しかけをする側が楽しい”という概念は、あいさつ以外にもいろいろなことにもあてはまります。

ほとんどの人がそれに気づいている思いますが、なかなか行動には移せません。

行動するにはリスクをとる「勇気」が必要だからです。

私もいくつかの分野で「しかけをする側」にいますが、それでも総合的には「~を待つ(受身の)側)」の姿勢かなと思います。

なるべくいろいろな分野で「しかけをする側」になれるように勇気をもって行動したいです。

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