ふとしたことで「怒り」を感じる瞬間
今日の午後から相続税業務の一環として預貯金の残高証明の発行手続きのために金融機関を4つ回りました。
4つの金融機関のうち3つはスムーズに手続きを終えることができたのですが、残り1つでトラブルに見舞われることに。
まず、その金融機関の受付で順番待ちカードをとり、椅子に座って自分が呼ばれるのを待っていました。
私の順番の前の方の手続きが終わったようで「おそらく次に呼ばれるだろうな」と待機していたのですが、呼ばれる気配もなく…。
そうしていると、別のお客さんが順番待ちカードをとらずに慌てた様子で「ちょっと教えてほしいのだけど」と窓口の方に質問したため、その窓口の方はそのお客さんを対応。
「まあ、仕方ないかと…」と理不尽さを感じながらもそのお客さんの手続きをが終わるのを待ちました。
そのお客さんの手続きは10分程で終わったのですが、その後も窓口の方からはまったく声がかかりません。
さすがにしびれを切らし、「ずっと待ってるんですが、対応して頂いてもよろしいですか?」と窓口の方に声をかけると「ああ、いたんですか」というしょっぱい対応を受けることに。
こちらも「この支店の受付カード機は機能していますか?私はずっと待っていたのですが、割り込みのお客さんを対応されていたようで、(受付カード機は)壊れていませんか?」とお伝えしました。
その後、残高証明の発行手続きに進むのですが、その窓口の方(というかその支店全体)が相続業務の残高証明の発行手続きに慣れていないようで…。
窓口の方と上司らしき方2名が声を揃えて「この支店では相続の残高証明の発行は受付けておりません。支店としては提出書類を一式預かるのみ。あとは本部とやりとりお願いいたします。」
私「そんなことありえますか?それなら私はなぜ手続きに必要な書類の一部として自分の印鑑証明書を提出したのでしょうか?残高証明の発行依頼書に代理人として自分の実印を押印し、銀行員の方がその印鑑証明書を見て実印かどうか確認するためですよね?残高証明の発行依頼は支店でできると思いますので再度確認頂いてもよろしいでしょうか?」
結局、その窓口の方と上司の勘違いだったようでその支店で残高証明の発行手続きをすることができました。
そんないざこざがあり、私も終始不機嫌、銀行側も「やっかいな客が来たな」という感じていたと思います。
自分は何に「怒り」を感じていたのか?
改めて自分が何に「怒り」を感じていたかというと主に以下の2点となります。
⑴自分はしっかりルールを守っていたのに、そのルールを破った人間が優遇され、ルールを守った人間が嫌な思いをしたこと。
⑵1対複数の状況をつくり、非論理的な思考で複数の人間が1人の人間を言いくるめようとしたこと。
⑴については、私がもう少し寛容であれば「怒り」を感じることはなくなると思いますが、⑵についてはやはり「怒り」を感じてしまいます。
私自身が税理士ということもあり、思考回路が簿記思考。
一つの事実につき表と裏、すなわち、要因(表)と結果(裏)を求めてしまいます。
例えば、
表では、「売上が増えた」ことで、裏では「資産が増加した」
表では、「資産が増加した」ことで、裏では「純資産が増加した」
表では「その支店に一定の書類を提出した」ことで、裏では「残高証明の発行手続きができるようになった。」
もし、裏で「その支店で残高証明の発行手続き」ができないようであれば、表を「その支店に一定の書類を提出した」意味というのを考えてしまうのです。
そこで合理的な理由を説明をして頂ければ私も納得いくのですが、
1対多数の状況をつくり、多数の主張が正解で、1の主張が間違っているという空気をつくりだしていることに「怒り」を感じているのかなと思います。
その「怒り」の対策は?
独立してひとり社長や個人事業主、フリーランスとなるということは、その道の専門家(プロ)となるということです。
その道の専門家になると、1対多数の1側となって専門家としての意見を主張する機会が多くなります。(私は独立後、1側となって、意見を述べることが多くなりました。)
今回の「怒り」の一番の対策は、その場の複数側がつくった空気や感情に流されずに、自分の行動や意見に対して論理的な思考を維持し続けることでしょうね。
論理的な思考を鍛えるには「簿記」がおすすめ。
「金額」という物差しを基準に、一つの事実に対し必ず要因(表)と結果(裏)を求める思考を習慣化できますので。
論理的な思考の場合には、以下の仕訳のような感じ
(例)(借方)経費×××/(貸方)現金 ×××・・・(要因)経費を支出し、(結果)お金が減った。
非論理的な思考の場合には、以下の仕訳のような感じ
(例)経費×××/(貸方)?(よくわからん) ×××・・・(要因)経費を支出し、(結果)?(不明)
いくら複数人で後者の仕訳を主張しても、お金が減ってなければ、経費は架空経費?と疑われます。(真実は前者の仕訳ですからね)
また、1対多数の状況をつくり、多数の主張が正解で、1の主張が間違っているというような場面は、社会で生きていく以上必ず遭遇します。
1の自分が意見を主張しても多数の主張が変わらなければ、余計なエネルギーを割かないためにも1の自分が主張しつつもある瞬間でサッとひく。
その非論理的な集団と関わらない形で目的を達成するのに他の手段を考えるほうが得策かなと思います。
ただし、1対複数の立場に遭遇しても1側で自分の意見が論理的に説明できるように訓練すると非論理的な集団からは嫌われるかもしれませんが、論理的な個人や集団からは好かれる傾向にあるので訓練は続けていこうと思います。
-編集後記-
本日は1日株価評価業務。
こんにちは!
マラソン・バイク・フルートをこよなく愛する
京都府長岡京市在住の税理士の丹尾 淳史(にお あつし)です。
今回は最近は私が「怒り」を感じたこと、その「怒り」の分析と対策についてです
ご参考ください。