実写映画版の「るろうに剣心 最終章 The Beginning」がついに公開されましたね!!
まだ、映画を観に行けてませんがコミックを全巻所有している剣心ファンとしては楽しみです(^^)/
「The Beginning」は剣心の幕末の人斬り時代を描いたもの。
アニメではOVA「追憶編」で剣心の幕末の人斬り時代を描いています。
実はこのOVA追憶編。
私の中では今まで観たアニメの中でも五指に入るぐらい大好きな作品です。
このアニメで私が一番印象に残った言葉は
京から逃れる際に剣心が巴に伝えた言葉「行くか大津へ。夫婦として」
そうなんです!私の出身地の「大津」の地名がでてきます。
池田屋事件勃発後、幕府側の手から逃れるため剣心と巴は京都から逃れて大津で若夫婦を装って暮らすことになります。
大津市出身の私は学生の頃から「剣心と巴が暮らした場所は現在の大津市のどのあたりだったんだろうか?」と空想にふけていました。
今回、実写映画版「るろうに剣心 最終章 The Beginning」の公開されたを機に私自身の仮説を整理したいと思います。
仮説:剣心と巴と暮らした場所は「滋賀県大津市大石富川町」か!?
推定:京から剣心と巴が暮らした家までの道のり
三条大橋を出発
ここから私の妄想ですが、お付き合いください。
池田屋事件勃発後、剣心と巴は桂さんと合流します。
桂さんは一旦京から逃れて大津の山奥で若夫婦を装って暮らせと剣心と巴に命じます。
剣心は巴に「行くか、大津へ。夫婦として」と伝え、剣心と巴は大津へ旅経つことになります。
京から大津へ下る最短ルートは東海道(現在の国道1号線)ですが、幕末当時も主要な道で人通りも多いこともあり、剣心なら避けるはずです。
アニメでも花売りの大原女(おはらめ)さんと出会うシーンがあることから、大原の道(鯖街道)又は京と大原の間の道(下鴨大津線)のどちらかを選択したと思います。
鯖街道だとかなり遠くなるので、個人的には下鴨大津線の道で大津へ下りたと思います。
幕末の大津とは
現在の大津市は北は北小松、南は大石町とかなり広い面積を有する市となっていますが、幕末は東海道五十三次にでてくる「大津宿」のみを指すものと考えられます。(今でいうと浜大津~島ノ関~石場あたり)
大津宿は東海道五十三次の53番目の宿場町、京から最も近い東海道の宿場町で人通りも多いはずです。
剣心は人斬りの素性を幕府側に知られていないとしても、流石に大津宿付近に住むのはリスキー。
剣心と巴は人気(ひとけ)のない地域を目指して更に南下したと思います。
幕末当時の大津市エリアはこんな感じ、富川村(大石富川町)に到着!?
滋賀県立図書館に行って、大津史の資料を読んできましたが、幕末の大津市エリアはこんな感じでした。
大津宿場町の下には膳所藩の城下町があり、城下町より南にはいくつかの村が点在していました。
おそらく剣心と巴は大津宿、膳所藩城下町を南下して平野(国分村~大石村)を歩き山間部の富川村にたどりついたと私は推測します。
富川村(現:大津市大石富川町)と推定した理由
理由➀:最大の理由は「剣心と巴の新婚旅行」の描写
るろうに剣心OVA追憶編「宵里山」で、剣心と巴が摩崖仏(岩に掘られた仏様)にお参りをし、宿場町で鏡を買いに行くというシーンがあります。
これはファンなかでも有名な「剣心と巴の新婚旅行」です。
宿場町の候補としては、琵琶湖に面する大津宿(東海道53番目の宿場)と内陸の草津宿(東海道52番目の宿場)が挙げられますが、アニメで登場する宿場町は湖に面しているため大津宿だと推測されます。
それでは「剣心と巴の新婚旅行」について。
描写順に「家を出発」⇨「摩崖仏をお参りする」⇨「湖に面した宿場町に到着」です。
剣心と巴がお参りした摩崖仏が富川摩崖仏であることは間違いないと思います。
また、剣心と巴は宿場町に行く途中に摩崖仏のお参りに立ち寄るという描写になります。
富川摩崖仏を道の途中とする村は大津市エリアのなかでは富川村(大石富川町)だけです。
理由②:剣心夫婦に言った飯塚さんの台詞
あるとき、飯塚さんが剣心夫婦の家にやってきて、剣心に薬売りをしろと指示します。
「薬をつくって売り歩け」
「商売してると世間は疑わない」
「大津に下りていく途中にいくつか村がある。そこを通る時の用心だよ。」
この3つは剣心に指示した飯塚さんのセリフですが、注目すべきは3つめのセリフです。
大津宿から南の地域はほとんど平野です。
ただ、大石村から富川村(大石富川町)の道が登山道となっています。
地形的にも富川村から登山道を下ると大石村につき、大石村から膳所藩にかけて複数の村が点在しています。
飯塚が言ったいくつかの村とは、膳所藩より南に点在する複数の村(国分村、南郷村、大石村、里村など)を指しているのではないでしょうか?
剣心夫婦が住む場所が富川村(大石富川町)であれば、辻褄があってきます。
3つ目の理由:大きな川と小さな川の描写
るろうに剣心OVA追憶編「宵里山」のシーンで、大きな川と小さな川の描写があります。
個人的に大きな川は「瀬田川」、小さな川は「信楽川」と推測しています。
実際に瀬田川は川幅が比較的広く、信楽川は川幅が比較的狭いです。
薬を売りに富川村(大石富川町)から瀬田川付近の村(大石村、南郷村、関津村など)に行くと、剣心と巴は地形的に信楽川と瀬田川の川岸を歩くことになります。
剣心夫婦の住む村が富川村(大石富川町)とすれば、この2つの川(大きな川と小さな川)の描写は自然と言えます。
その他の理由:闇乃武は伊賀忍者・甲賀忍者の末裔?
るろうに剣心OVA追憶編「十字傷」で剣心は闇乃部の闘うことになります。
OVA追憶編のいいところは闇乃部を決して悪役として描いていないところなんですね!?
闇乃部の長のセリフです。
「世の平安なくして個々の幸せなど得られようはずはない。この徳川の世に害をなす者あらば、例えどれほど小さき芽であってもあらゆる手を講じてこれを摘む。その用心深さこそが徳川300年の太平の理由。我らがこれを支えてきたのだ。そして我らの業そのもの。我らも守っているのだよ。人々の幸せを。命がけでな」
このセリフから読み取れるのは、闇乃部の先祖は江戸幕府開幕より前から徳川家に仕えているものと推測されます。
伊賀者は江戸幕府開幕前から家康に仕えていますし、甲賀者(特に多羅尾家)も家康が伊賀越えをするときに家康に力を貸しています。(家康を護衛した功績により、その後、幕末まで代官に取り立てられたとのことです。)
つまり、闇乃部は伊賀者又は甲賀者の末裔ではないかということです。
また、注目すべきは大津市で一番伊賀(三重県伊賀市)や甲賀(滋賀県甲賀市)に近い町はどこかということです。
それは大石富川町なんです。(大石富川町の隣が甲賀市信楽町となります。)
るろうに剣心OVA追憶編「十字傷」で飯塚が剣心に「内通者が割れたぜ、巴だ。向こうの山のお堂に仲間がいる」に伝えています。
向こうの山ということは大石富川町付近の山と推測されます。
伊賀者、甲賀者にとっては大石富川町付近の山は近場の山、自分達のテリトリーだと言えるでしょう。
(ここから更に妄想ですが、個人的に剣心と闇乃部が死闘を繰り広げた山は太神山だと推測します。頂上に不動寺があり仏教と縁が深い山です。闇乃部の長のうしろの仏像も印象的。)
以上の理由から、剣心と巴が暮らした場所は富川村(大石富川町)付近と推定しました。
終わりに・・・
この富川摩崖仏は知る人ぞ知るスポットで、意外と大津市民でも知らない人は多いと思います。
そんなマイナーな富川摩崖仏をわざわざアニメに登場させているということは、アニメ制作スタッフの方もおそらく現地にロケハンに訪れたと思います。
富川摩崖仏への道中おそらく大石富川町の景観を目にされ、「剣心と巴はおそらくこのような景観の山奥で過ごしていたんだなあ」と想像を膨らませ、その制作側のイメージが大石富川町の景観がマッチしたのではないのかと推測します。
以上が私の推測となります。
大津市南部に住んでいないと今回のような推測はできないと思いますが、OVA「追憶編」を視聴した学生の頃から考えていた悩み「剣心と巴が暮らした場所は現在の大津市のどのあたりか」の考察をようやく文章に起こすことができました。
長々となりましたが、最後までお読み頂きありがとうございます。
もしよろしければ、「富川摩崖仏」「富川トンネル」と検索して頂き、是非この地に訪れてくださいね(^^)/
1984年10月30日生まれ。滋賀県大津市生まれ。京都府長岡京市在住。ひとり税理士。相続や会社・フリーランスのための経理やお金を残すサポートが得意。前職は営業マン⇒フォークリフトマン⇒塗装工⇒フリーター⇒税理士補助といろんな職種を経験。ビッグ4(現:デロイトトーマツ税理士法人)にも在籍。いい意味で税理士っぽくない税理士。趣味はランニング、バイク、フルート、風景写真。詳細はこちら